韓国俳句における観察の力 ― 花のしべ一つにも季節は宿る
韓国俳句はしばしば短い詩と説明されます。しかし、その本質は単に短く書くことにあるのではありません。限られた言葉の中に発見の瞬間を凝縮する文学であり、その出発点は華やかな表現や技巧ではなく、「観察」にあります。私たちは日々さまざまなものを目にしています。しかし、多くの場合、それらを見ているつもりで、本当には見ていません。...
短い詩と深い思索が出会う、韓国ハイク連盟の開かれた文芸空間です。
韓国俳句はしばしば短い詩と説明されます。しかし、その本質は単に短く書くことにあるのではありません。限られた言葉の中に発見の瞬間を凝縮する文学であり、その出発点は華やかな表現や技巧ではなく、「観察」にあります。私たちは日々さまざまなものを目にしています。しかし、多くの場合、それらを見ているつもりで、本当には見ていません。...
고향의 논길에서 사람의 뒷모습 하나를 오래 바라보았습니다.
真夏のさなか、鳴き尽くした蝉の抜け殻を通して、「残されたものたち」を見つめる。落ちて横たわる息、眼、声、言葉——命はそのように一瞬にして消え、痕跡だけが静かに残る。この文章は、その沈黙の重みと、消え去ったものたちの最後の温もりをたどる記録である。
春の花が咲くと、人はまず色を見る。桃色、白、淡い黄色、若緑の花びらを見ながら、季節が来たと言う。
水の中はどんな姿だろう夏の小川でカワニナを採った。足首を包む水の気配はひんやりとしていた。なめらかな石のあいだに小さなものたちが隠れ、指先に触れる感触が陽ざしのように広がった。久しぶりに故郷の友人たちと笑い合い、水に足を浸すと、忘れていた川の息づかいが戻ってきた。幼いころ、私はよく水の中をのぞき込んでいた。「水の中はど...
林檎の花は春の頂点に咲きながらも、すでに結実を予告する花である。桜が散りゆく美学を示すとすれば、林檎の花は結ばれ、つながっていく物語を宿している。日本の俳諧の伝統において「花」は主に桜を中心に展開してきたが、林檎の花はその周辺に位置するからこそ、現代の韓国俳句が新たに感覚を拡張するための重要な題材となる。林檎の花は農耕の時間、労働と待つこと、未来の結実への予感を含み、季節語として一瞬の中に過去・現在・未来を圧縮する。
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